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 前川 直輝

Author: 前川 直輝
最終学歴 京都大学法学部
司法修習 54期
カリフォルニア州弁護士
Maekawa国際法律事務所・代表弁護士
https://maelaw.jp/

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趣味の時間~継続は力なり
今日はあいにくの雨ですが、花粉症患者にとっては恵みの雨。寒暖の差が激しいのは体に堪えますね。

さて、夫婦一緒の趣味を持ちたいと思って始めたフルート。お前がやったら金属が曲がるとか、キーを二個押してしまうんじゃないかと言われて揶揄されながら、はや六年。野球の次に長続きする趣味になりました。

先日の研修所時代の仲間との同窓会ではいまだにイメージと違うわーといわれて笑っていましたが、内心では少々自慢してもいいんじゃないかと思えるようになりました。

音楽はカラオケ以外に経験がないので、最初はそもそも楽譜が読めませんから、シャープに上矢印をつける有様。
今でも難しい楽典の知識はないので音楽辞典などに頼る日々です。
それでも、最近ではようやく目と頭が慣れてきたように思います。

大人になってから始める趣味で長続きする要因は、1.続けられる環境があること、2.良い師につくこと、3.モチベーションが維持できること、ではないかと思います。

第一に、フルートは場所を取りません。楽器は高いものをみればキリがないですが、初心者用なら十分手が出る範囲。どこかにいかなければできないのではなく、いったん楽器を手に入れれば時間さえ選べば好きな時にできます。スポーツジムが続かないのは、そこに行って、カードやらウェアを買い、着替えたりと面倒が幾重にもあるからかなと思います。

第二に、子供のころほど従順ではないし、時間も制約があります。その代わり、その人にあった適切な練習方法を早いうちに身につければ、上達もはやい。そのためには、たんに技術が優れているというだけでなく、人間をありのまま受け止めて、物心ともにバランスよく導いてくれる先生が不可欠でしょう。
いまついている先生は、年が下ですが、良く自分のことを観察してコントロールしてくれていると思います。妻も一緒に習っていますが、教え方は全く違うんですね。海外経験もあって、変な見栄やしがらみがないのも合っていると思います。

第三に、誰でもはじめはやる気満々、皆エースで4番を夢見ます。しかし、日頃の雑事に優先順位が移ってしまったり、先生や周りにたかだか趣味なんだから、と低く見られてやる気をなくしてしまう。四月のカルチャースクールを年末まで続けられる人がどれだけいるでしょうか。
その点、自分の先生は良い意味で目標設定を下げません。自分がどんな演奏をしたいのかをしっかり考えさせた上で、そのためにはどうしたら良いかを毎回一緒に悩んでくれます。甘い妥協は許さないですが、自分なりの努力、工夫をしていれば必ず気がついてくれます。
何より、妻がよこにいるというのは、モチベーションになりますね。絶対に相手に勝てるはずはないのですが、自分は負けず嫌いなので何くそと思います。趣味で楽しみたいのに、下手だとかバカにされたくないですしね。

そう思うと、なかなかよい線をいっているのではないかと思います。最近、やっと妻に褒められるようになってきました。
限られた時間で、如何に上達できるのか、ビジネスにも通じることかもしれませんね。

フルート慰問演奏
先日散髪屋に行ったら、「よいお年を」と言われました。
そうですね。もうそんな時期なんですね、と笑いながら、こんだけの仕事、ああいったいどうしたらいいのだろうと困りかけています。

さて、そういいながら、趣味でやっているフルートのアンサンブルで、京都市内の高齢者施設に演奏に出向きました。
荒れ模様の天気予報でしたが、当日は晴れて、合計8人で楽しくでかけました。
こちらは3月にもお招きいただいた施設で、スタッフの方が気に入ってくださって、リピートしてくださいました。
本当にありがたい話です。

クリスマスパーティーということで、季節にちなんだ楽しい曲目を準備しました。
普通のフルートだけでなく、ピッコロ、アルトフルート、バスフルート、コントラバスフルートと、フルートのグループでも珍しい構成で臨めたのではないかと思います。
演奏当日は、入居者のご家族、お子さんやお孫さんも来られていて、一緒に楽しく歌を歌ったりしてくださいました。
演奏では、多少の事故?もありつつ、聴衆のみなさんに助けられて無事に終えることができました。

打ち上げにも行ったのですが、日頃練習のときに顔を合わせるくらいのメンバーなので、仕事のこと、家族のこと、フルートのこと、たくさん話ができました。
実に面白く、本当に信頼のできるみなさんと知り合えたのも、何かの縁だなぁとつくづく思います。

メンバーの一人の方が、「今日は何か自分なりに伝えられることがないかなと思って参加した」とおっしゃっていました。そういう志を同じくする仲間が少しでも増えていくと、嬉しいものです。
ただ単にフルートをおもいっきり吹く、というだけでは慰問演奏というのは成立しません。
聴く人に何かの感動を伝えられ、一緒に時間を過ごせたことを幸せに思えることが何よりも大切なことです。
そのためには、フルートの練習はもちろん、プログラムやその他雑多な準備にも相当時間をかけなければいけませんし、訪問先のみなさんの顔を思い浮かべながら頭をつかう必要があります。
大変ですけれど、準備したらしたなりに、絶対に得るものが毎回あります。
それは仕事だけをしていたのでは得られないものです。
人生、生涯勉強が続きますし、人の縁は大切にしていきたいものですね。
先生のコンサート
今日は事務所です。
なんだか、近頃は週末でもたまに事務所に出るようになりました。
週末書類などもって帰っても、家でダラダラするだけなので、出てくるようにしています。
よく考えれば、この間まで週に1日休みがあり、学校も土曜日にありましたから、大したことではないですね。
休みたいときに休めて、働きたいときに働けるというのが、我々の仕事ですから。

さて、先日、フルートを習っている先生が出演するフルートアンサンブルのコンサートに行ってきました。
平日の夜で、仕事のスケジュールからするとぎりぎりでしたが、開場時間にはまにあって一安心。
2時間近い熱演、本当にご苦労様でした。

室内音楽をされる人は、みな一様に色白なのですが、自分の先生は、ご旅行で日焼けされたのもあって、日焼けしてなかなかに目立っておられました。ただ、しゅっとしてお綺麗ですし、黒いドレスがより似合っていたと思います。
曲はクラシック、重厚なものから、小編成のかわいらしい曲、またフルートオーケストラをバックに、ひとり前に出てソロを吹いたりと、楽しいプログラムでした。

音楽のコンサートには昔も今もしばしば行きます。
ちょっと昔は、ミーハーにBack Street Boysのチケットが取れたので大阪ドームに行ったこともありますが、最近はクラシック、たいていはフルートの入ったコンサートが多いです。
今回は皆知っている先生方でしたが、音色や演奏中の姿勢、動きが皆一様に違いました。
音楽はその人の人格が出ると言いますが、クールな人はテンポ感が安定していて演奏中も体が動かないし、酒が入ったら何かと熱く語る人は結構強弱が激しかったり体が動きます。

フルートは楽器や音の出る構造はシンプルですので、体格や技術はもちろん、性格などがより現れやすいように思います。
たまに眼を閉じて聞いてみましたが、それぞれのフルートの音がそれぞれに違って、ああ面白いもんだと実感しました。そして、生徒も先生も、こんなふうに吹きたいというイメージが共通であれば相性がいいのだと思うのですが、眼を閉じて、ああ、今良いフレーズだ、音色だと思ってみると、たいていは自分の先生が吹いておられました。
そういう意味では、恵まれた環境にあるのだなと思います。

弁護士と依頼者、その他の仕事の関係でも同じでしょう。
目指す方向が同じで、人間としての温かさや思いやりのようなものがある人どうしであれば、途中で困難があり、障害があっても、協力して力を何倍にもして、乗り越えていけるのだろうと思います。
英語でArtというと、日本人がよくイメージする美術・芸術という狭い意味だけではなく、専門的に獲得された技術やその美しさを表現する場合があります。
仕事の技術ややり方も、ひとつのArtであるのだと思います。

弁護士という職業は、多くは依頼者の属性や事案の経過から結論が左右されるもので、弁護士の技術で勝ち負けが180度変わるというケースは、それほど多くはありません。しかし、交渉事でもうひと踏ん張りができるかできないかで何百万円、何千万円と変わることだって現にありますし、結論だけがサービス内容ではないから、その経過で快適でいられたり不安が少なくなったりということもあります。
今回楽しめたような綺麗な音と同じように、依頼者にも何か温かい、ほっとするもの、満足感を与えられればいいなと思います。
学会での演奏
私は趣味でフルートをしていて、特に地元界隈で、老人施設や学校など依頼を受けて演奏に出向く活動をしています。
素人なので、費用は頂戴しないでやっています。
そうはいっても、主催者側で気を遣って下さって、交通費や食事など手配していただくことも多く、いつも感謝です。

この週末も、地元でとある学会の懇親パーティがあるというので、仲間と4人で演奏に出向きました。
学会のテーマにちなんだ曲の希望があったり、いつもより演奏時間が長めだったり、演奏する側としても充実していました。学会も盛況で、きれいな会場で、素晴らしいひとときでした。
そして終わってからもいろいろなお気遣いをいただきました。

フルートを趣味でしているといっても、延々と個人でレッスンを続けているだけではなかなかモチベーションがあがりません。
年に1度発表会がありますが、実際の準備は2,3ヶ月前からですからそれ以外はどうも気合いが入らない。
人前で演奏する、そのために準備をするということが繰り返せるのは良いことです。
そして何より、日頃ふれあえない世界、人たちと接点ができて交流できるということが財産です。
私自身、職業柄、いろいろな分野の方と会う機会がありますが、そうはいっても基本的には困り事の処理の関係でお目にかかります。その点、フルートの演奏依頼の場合は、そういうしがらみがなく、自分とはまったく違う世界で、違う目的意識をもった人たちの中に入っていくので、いつも新鮮です。
今回も学会そのものはいろいろなイベント、講演があったようですが、ちんぷんかんぷんです。
それでも「場」を味わえることは、そうはないわけで、それだけで貴重な瞬間だと思います。

人間とはよく言ったもので、人と人の間にこそ価値があるのだと思います。
そのつながりが増えていくのは、仕事上では当然ですが、また違った関係性を持って、違うアンテナの向きで、違う方角に糸がつながっていくのは、大変おもしろいし、楽しいです。
仕事もして、フルートも練習して、演奏の準備をしてというと大変なように思われますが、案外楽しいものです。
社会人の趣味の醍醐味はそういう人間関係であって、野球でも、他の趣味でも同じじゃないかと思います。

ワークライフバランスなんて甘えたことが言える仕事じゃないですが、仕事の上でも、私生活で刺激を受けて、快活な状況でいられるのはきっと良い効果があるはずです。
どんな場でも誠実に、真摯に、人と向き合い、糸を紡いでいきたいと思います。
障がい者?健常者?
台風が近づいていますが、昼間は日が差し込んだりして、少し汗ばむくらいの陽気でした。

さて、先日フルートの活動でご依頼があり、とある集まりに参加してきました。
社会福祉協議会主宰のイベントで、身体障がい者、精神障がい者で、作業場に通所されたりしている方が、秋の季節のイベントをするのだが、音楽の演奏をお願いしたい、という依頼でした。

これまでは、たとえば医者や教授の集まりとか、老人福祉施設とか、ある程度年齢など客層が一定している人たちからのご依頼で演奏をしてきて、ある程度経験もできて、慣れてきた感覚はありました。
しかし、今回は障がいの内容・部位が・程度がまったく違うし、何より年齢層が様々なので、どこまで理解可能か、どういう興味なのか想像するのが難しかったのです。
仕事の合間に練習をしたり、準備をしたものの、いったいどういうプログラムがよいのか、直前まで不安もありました。

蓋を開けてみれば、知っている曲では手を叩いて下さったり、歌を歌える曲では大きな声でそろって歌って下さったり、心配は杞憂に終わりました。
それに、プログラムが終わったら、アンコール、アンコールの大合唱。
ちょっと感激しました。

私個人の経験として、小学校のころ特別学級というのがあって、知的障がいのある同級生がそこに所属しながら、同じ公立学校に通うという期間がありました。
名前も顔も、今でも覚えています。
もちろん、最初は、言葉がきちんと喋れないとか、行動が「普通」と違ったので面食らいましたが、ふれあっていると別に普通の友人であって、個性が違うだけだという認識になりました。休み時間や自由時間になると、その友人のところに行って、一緒に積み木で遊んだりしたものです。

現在も、弁護士として、高齢者・障がい者向けの法律サービスを行う通称「ひまわり」という委員会に属しており、細々とでも、電話相談・来館相談をしています。
残念ながら、電話では要領を得ないことが少なくないですが、それでも中にはきちんと話ができたり、入所施設に出張すると実は深刻な問題をかかえていることが分かったりする例があり、決して件数は多くないですが、私も少し受任し処理をしたことがあります。
そういう中で、自分の中の確信として考えていることは、障がいを持つ人は、一人一人貴重な人間であり、一人一人に気持ちがあり、考え方があり、尊厳があるのだということです。
そして、障がいというものと、それ以外というくくりで単純化し、遠ざけてはならない、それは身長が違う、性別が違う、能力も違えば家庭環境も違う、そういう人々の個性のうちの一つでしかないのだという認識を持つことが大事だと思うようになりました。

もちろん、一定の社会制度を前提として我々は生活していますから、障がいのある皆さんに対する行政サービスが特別に為されることは枠組みとして必要です。
きれい事をいうのはタダですが、実際に障がいのある人を子供に持つ親御さんが、後に残る子供のことを考えて心配でならないと目の前で泣かれたことは一度ではないし、きれいな言葉だけで問題を解決できるわけではありません。
しかし、だからといって、遠い存在であってはならないと思います。
たとえば、しばしば少し変わった動きをしたり、小声で何かいいながら動いている人を電車やホームなどで見かけます。しかし、それは、同じ車内で携帯をいじったり、新聞を読んだり、している中の一つの光景だということです。そしてうるさければ、同じように(といっても接し方にはある程度工夫が要る場合もあるでしょう)注意すればいいし、状況に応じてコミュニケーションをとることを控えるべきではないのだと思います。
こうやって文字にすると、弁護士で偉そうにとか、かっこつけやがって、と思われるような気がしますし、そのような評価を受けることも、仕方がないことだと思います。その人の価値観、内心の問題は突き詰めれば分かりませんからね。
ただ、正直に言って、これらはすべて私の偽らざる感想であり、価値観です。

今回演奏に行って、元々はこちらがイベントで招かれて、アトラクションを提供する立場にありました。
ところが、終わって帰ってくるころには、すがすがしい気持ちになりました。
なぜなのだろうと振り返ってみると、演奏などに対する反応が実に純粋でピュアなものだったということ、演奏後も声をかけて下さって、「知っている曲を選んでくれてありがとう」とか「一緒に歌えて嬉しかったよ」と腰を90度にかがめておじきをされたりしたことなど、聴衆の皆さんの対応の一つ一つが偽りのないものであったことが理由の一つだと思えます。それは「健常者」を相手とする演奏活動とはまた違った気づきがあるように思いますし、日頃の自分がいかにつまらない見栄などで身を固めているのかと自省するきっかけになります。
加えて、演奏が終わって移動したり次の活動に移られている際には、大きな声を上げたり、走り回ったりすることが多かったわけで、演奏をじっと座って聴くということ自体、大変難しいことであること、そういうコンディションに調整下さったスタッフの人の努力、聴衆の皆さんの意識といったものに触れて、感謝の念を覚えました。

どんな場でも、せっかく招いて下さり、時間を共有し、こちらの下手な演奏を聴いてやろうといって下さるのですから、一所懸命に準備していかなければならないと思いました。相手が誰であろうと、常に敬意を忘れず、本当に真摯な態度で接していかなければならないし、そうすることができれば、きっと何かおみやげをもって帰ってこれるのではないかなと思います。
そして、弁護士として、また人間として、「差」を分かつのではなく、人間の尊厳、個性といったものを常に意識していかなければならないと強く思いました。

そういえば、後片付けをしているとき、ある方に声をかけられました。
「あなたは官房長官の○○さんに似とるわ、しゃべっとるのがそっくりや」だそうです。
たぶん同業出身で、今叩かれているあの官房長官なのでしょうが、喜んでいいんでしょうか。
そこも「偽り」はないのでしょうが、いくら何でも倍近い年の人と似ていると言われると、まだまだ若い気でいたい自分としては、残念な感じもします。
家でも新婚当初からおっさんと言われていますので、仕方ないし、ま、説得力があったということで。。。