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 前川 直輝

Author: 前川 直輝
最終学歴 京都大学法学部
司法修習 54期
カリフォルニア州弁護士
Maekawa国際法律事務所・代表弁護士
https://maelaw.jp/

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弁護士職務基本規程第4条~司法独立の擁護
職務倫理について解説本を読んでいますが、最初はどんな科目の、どんな教科書も、抽象論、総論が多く、つまらなく思えるかもしれませんね。
でも、仕事をすればするほど、基本的な原理原則が重要だということが肌身に感じられるものだと思います。

(司法の独立)
第4条 弁護士は、司法の独立を擁護し、司法制度の健全な発展に寄与するように努める。


「司法」は国家の三権の一つで、立法・行政と分離されています。重要なことなので、日弁連の解説箇所を引用します。

「民主国家においては、理論上は国民全体が主権者となり、治者と被治者の対立は解消するが、実際はその時々の多数党が統治者となり少数党や孤立者がその支配を受ける被治者に等しくなる。そこで、多数意思に基づいて行われる立法や行政が適法さらに合憲であるか否かを監視し、判定する司法の作用が必要となる。」


集団で社会が成り立っている限り、社会のあらゆる場面で、多数が少数を制するという現象が起きます。
少数者の自由が制限されるとき、それが多数の「民意」によるものであったとしても、憲法や法律で守られている少数者の権利までもが侵害されている場合は、少数者を保護し、「民意」に歯止めをかける必要があります。
司法権は、まさに民主主義を適正にするために、構成員たる国民の基本的人権保障するべく機能するものです。

例えば衆目が一致して「こいつがやった悪いやつだ」と思っている人間を、その意見に従って処罰されたり、敗訴させられたらどうでしょうか。誰がか「おい、ちょっと待て。本当にそうなのか?」と疑問を呈し、その多数意見に合理的な根拠があり、憲法・法律に沿ったものであるかを検証する必要があるはずです。

弁護士は、世間のすべての人を敵に回しても、目の前の依頼者、相談者が、人権を侵害されている、される虞があると信じるとき、最善を尽くさなければなりません。
「民意」の名の下に、「改革」の名の下に、少数者の人権が侵害されるのであれば、その「改革」には歯止めをかけるべきだと意見し、修正を働きかけるべきでしょう。
弁護士、弁護士会は、国家権力ではありませんが、司法権の一翼を担う立場にある以上、日々の業務や制度に対する意見表明や啓蒙活動を通じて、司法権が真の意味で少数者保護につながるよう、常に貢献しなければなりません。

現代のように、為政者とマスコミが癒着し、一見耳障りの良い「改革」を吹聴し、世の中が権力が思うような方向に進んでいく危険が高い場合にこそ、司法権の役割が大きいのだと思います。
批判ばかりではいけないでしょうが、批判するのが仕事です。イチャモンをつけるのが仕事なのです。
世間の言う「常識」が反発することを恐れては、弁護士が存在する意味はありません。

国政も、地方も、立法や行政庁が専横しようとする気配を感じます。
そういうときこそ、大勢におもねることなく、どこかに歪がないか、問題がないか、虐げられている少数者がいないか、目を光らせ、日々の仕事でもそういう視点で業務に当たることで、少しずつ社会に貢献できていくのだと信じます。
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弁護士職務基本規程第3条・弁護士自治
いよいよロンドンオリンピックの開会式。いままさに開会式のLive映像を観ながら書いています。
スポーツの祭典を観ながら、弁護士自治や司法独立を考えてみましょうか。

第3条 弁護士は、弁護士自治の意義を自覚し、その維持発展に努める。


我が国の他のあらゆる専門家、国家資格と、弁護士が決定的に異なるのは、あらゆる意味で弁護士が自治独立しているという点です。弁護士の資格審査、懲戒などを弁護士の自立に任せ、一切の監督官庁が弁護士の職務活動・規律を監督することを許さない、というものです。
何故これほどまでに自治が重要か。戦前までの歴史上、国家による弾圧・干渉を受け、弁護士やその弁護活動で守られるべき国民の権利・自由が侵害されてきた事実があり、過去を教訓としたものです。このブログでも何度も言っていますが、弁護士は一私人ですが、憲法でも弁護人依頼権がうたわれ、裁判所、検察官、その他権力に伍する仕事ですから、相手になる権力から弁護士会組織に対する干渉を許せば、弁護士個人に対する干渉を許し、結局のところ、依頼者たる国民が保護できなくなるわけです。

昨今不祥事が続き、弁護士会の自治といって身内をかばうばかりではないか、有効に作用していないのであれば自治を制限して国家によるコントロールを進めるべきではないか、との意見も少なくありません。
そのような意見に対して、弁護士会は、特に弁護士による不祥事に関する実効的な対策を取るなどして、国民の声に答えなければなりません。
ただ、そのことと、弁護士自治の意義とを直接的に結びつけることには、私は疑問があります。

不祥事が発生してから処分までに時間がかかる、処分内容が一般の感覚からすると甘過ぎる、重大な不祥事につながっている弁護士の多くはそれ以前に軽微な懲戒歴があるのだから会としてコントロールすべきだ、等という指摘は、残念ながらそれなりの理由があるとおもいます。
しかし、それは、弁護士会における綱紀・懲戒手続の仕組み、懲戒処分基準の見直し、公表方法等、内部手続を改善するという方策で対応するべきであって、そのために権力の介入を許すことは次元が違う重大な制度変更であり、弁護士会という組織、弁護士の存在意義を失わせる危険を孕むとおもいます。
難しいことですが、自浄作用を高めつつ、国民の声に対して真摯に説明責任を尽くすべきでしょう。

規程3条は、各弁護士が、この弁護士自治の重要性について深く理解すること、各人が考えて行動に移すことを求めています。人数が増え、競争が激化すれば、経済的な収支に目が行きがちで、帰属意識も薄れ、自治だなんだとめんどくさいことはどうでもいいじゃないかという傾向に流れがちです。
刑事弁護に関する研修で対応していても、「警察官がこういうから」「検察官が無理だというから」「裁判官がこう言うので」といって、権力側の意見に唯々諾々と従うような経験の浅い人たちの報告や意見が少なくありません。司法修習生との質疑でも同じような感覚を覚えることが多く、危機感を持っています。
こんな記事を書いているような私は、頭の硬い古い人間なのかもしれません。しかし、胸元につけているバッジが、それによって尊敬を集め、一定の地位を与えられ、結果として飯の種になっているのは、弁護士が弁護士自治によって守られた弁護士会という組織に所属することによって、権力の干渉を受ける心配なく職務遂行に集中できるからだと信じます。

様々な意見、将来予測はあることでしょう。
弁護士自治が歴史を教訓として獲得されたものであるのと同じように、弁護士自治の歴史がまた自治の内容・範囲を変えていくことにもなるわけです。我々の一挙一動が今後の制度のあり方に直接間接に作用していくということは確かです。
意見の相違は別として、重要なことは、我々弁護士がその時々の国民の声に耳を傾け、常に自治とは何か、どれほどの重要性があるのか、なくてもいいのかと関心を払い、考え続けることではないかと思います。
弁護士職務基本規程第2条~自由と独立
今日は久しぶりに一日暖かい晴れた土曜日でした。
愛犬と散歩したり、近所の街並みをゆっくり眺めながらリラックスできました。
さて、弁護士職務基本規程を読んで行きます。
概括的な条項が続きますが、職業人として疎かにしてはいけません。

自由と独立
第2条 弁護士は、職務の自由と独立を重んじる。

 
 解説によれば、「弁護士が職務上自由でなければならず、他の支配・影響を受けることなく独立してこれを行わなければならないことを、理念として明らかにするもの」とあります。
 「自由と独立」というのは3つの側面があります。

1.権力からの自由と独立
 第1条にあったような基本的人権の擁護と社会正義の実現のためには、歴史的にも、また現在においても、権力と対峙するのが仕事の本質です。国家権力から影響を受けず、依頼者の利益や社会正義のために職務に専念しなければなりません。私自身、日々業務を行なっていて、一番意識するところですし、在野精神がこの仕事の本質であろうと思います。

2.依頼者からの自由と独立
 この点は意外に思われる向きもあるかもしれません。「え?わたしのために頑張ってくれるんじゃないの?」と思うかもしれません。
 確かに、弁護士は、依頼者の利益の実現に注力する義務はありますが、どんな利益でもよいわけではありません。法律上許容されない利益、たとえば本当は犯罪をやってないんだけど、刑務所に入ってみたいから有罪になるように進めてくれ、またその逆も、「正当な利益」とはいえないでしょう。
 よく対比される医師は、原則として診療義務があり、むやみに患者への治療を拒むことはできません。しかし、弁護士は、原則として受任を義務付けられることはありません(各弁護士会における国選弁護、当番弁護の場合の受忍義務は別途定めはあります)。
 私達弁護士が、相談者や依頼者から自由であり独立だという意味は、何もその人を無視してよいということではありません。ただ、本人が求めることだけではなく、社会正義や倫理観をもとに、「気持ちはわかるが請求としては成り立たない」、「相手の要求には従わざるを得ません」という回答をすることも、結果としては無用な紛争を防止し、早く決着させるという意味で、重要な役割であるということです。

3.他の弁護士からの独立
 弁護士会やその委員会、弁護団、また勤務経験があれば勤務先の事務所といった他の弁護士との関係は重要です。
 しかし、それが職務内容に影響してはならないということです。
 例えば、勤務弁護士であるからといって、ボスの弁護士の隷属してはなりません。原則論として、所属関係にあり、経済的に一定の報酬を保証される関係にある以上、指揮監督関係にあります。だから、ちょっと気分が乗らないから、それ、やりませんなどとボスに言ったのでは契約違反です。
 しかし、ボスが相談者や顧客に行なっている回答が明らかに間違ってたり、弁護士の倫理上問題があるものである場合は、その指示に唯々諾々としたがってはいけません。あとでアソシエイトが問題に巻き込まれたときに、「だってボスが指示したんだから、しょうがないでしょ」は通用しませんよ、ということです。
 また、逆にボスは、アソシエイトの自由を奪ってはならないということです。解説の中には、他の弁護士が名義上の開設者とされているのに、別の弁護士が「人事、金銭管理全般を掌握し、ほしいままに収益を取得し、当該法律事務所の実質的経営者である状況を生ぜしめた」ために、開設者とされる他の弁護士の自由を奪ったとして懲戒されたケースがあるとされます。
 

 近年、弁護士がサービス業だという観点で、今までの仕事のあり方を見なおされています。それ自体は顧客に寄り添う姿勢として讃えられるべきものです。
 ただ、その裏で、金銭のためなら、そして特定の顧客の意向に従うためなら、無理な裁判をしたり、主張をし、あるいは情報・証拠隠しをするという例が少なくありません。依頼者との関係でも、弁護士は自由であり独立でなければならないという意識は、あらためて強くしなければいけないとおもいます。
 また、勤務弁護士として就職するだけでも大変で、なかなか移籍や独立が難しい、という苦しい立場にある若手弁護士も多く、なかなかボスに意見がいえないという人もいるかもしれません。もちろん、ちょっとした事ですぐ辞める、合わない、というのは、自由独立という以前の忍耐力の欠如であり、自分の立場をよくわかっていないという例も少なくないでしょう。
 しかし、職業として自由独立の精神を捨ててしまってはいけません。時にボスと違う意見を持つこと、あるいは間違った方向を正そうと議論を交わすことは、弁護士どうしの相互理解に資するものでもありますし、結果としてボスの利益、依頼者の利益になるのだということを知っておかねばなりません。

 私が勤務弁護士としてキャリアをスタートしたときに先輩に言われた言葉があります。

「バッジをつけたらその日から一人の弁護士だ。だから今からバッジを外すときが来るまで、一時も気を抜けないし、休まらない。ただ、だからこそ、弁護士ってのはいつまでも面白いし、やめられないんだ」

 私自身、弁護士の職責の重さを年々強く感じるようになりましたし、同時に、職業としてのやりがいや価値を見出すこともできます。不遜な姿勢ではいけませんが、単なる営利目的のサービス業とは違うのだという良い意味での意識の違いは、いつまでも大切にしておきたいですね。
弁護士職務基本規程第1条~使命の自覚
桜の季節は過ぎて、今日などは汗ばむくらいの陽気でした。
さて、本日郵便で「解説・弁護士職務基本規程(第2版)」が事務所に届きました。
日弁連から全会員に送付されています。

そもそも弁護士は、弁護士法により、必ずどこかの弁護士会に所属し(例外はありますが、基本的に都道府県ごとに設置されます)、その単位弁護士会全部が集まって、日本弁護士連合会が存立する、という組織構成となっています。

弁護士は、公務員でない法律関連業種で、唯一監督官庁のない、独立団体です。
権力と伍するのが仕事であり、あらゆる干渉を排除しなければならない。
だからといって、どんなことをしてもいいわけではない。
弁護士法で弁護士会が内規で綱紀事項を定めるとされており、従前弁護士倫理というものが定められていました。
ただ、「弁護士倫理」は文字通り倫理条項であって、会員に対する拘束力が必ずしも明確ではありませんでした。
そこで、平成16年11月、弁護士会の会規として弁護士職務基本規程が成立したものです。

このように、各弁護士が従うべき規程である以上、弁護士として規程に通暁しておかなければなりません。
私自身も11年目となり、気を緩めてはいけないタイミングでもありますので、少しづつ読みながら、ブログでご紹介したいと思います。逐条で書くつもりはありませんし、それはすでにこの手元の冊子がしてくれていますから、特に一般の皆さんにご紹介しようと私が思ったものを、その都度引用することとします。

第1条(使命の自覚)
弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と社会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に努める。


だいたい、法律とか規則の1条というのは抽象的な事柄を書くものです。
この第1条もぱっと読むと美辞麗句だが、何の意味があるのかとおもわれるかもしれません。
しかし、仕事をすればするほど、経験を積めば積むほど、弁護士法1条なり、職務基本規程1条は重く感じられます。

ここでいう基本的人権とは、憲法11条、97条に定めるのと同義で、「侵すことのできない永久の権利」。
侵すことのできない、というように、何にもまして重要な国民ひとりひとりの権利を守る、それが仕事の使命なんだと言われると、私自身はとても重い責任を感じます。裏を返せば、それが侵害されているというのは、重大な被害であり、それが回復され、侵害が防止されるように、全力で当たりなさい、それが仕事なんだ、という意味に受け取られます。人は皆一人として同じではなく、かつ誰一人として価値が劣ることはない。生まれながらにして等しく尊い存在だということ、それらの人にすべからく憲法のいう権利保護を行き渡らせる。実に重たく、また、やりがいのある仕事だと思います。

一方、社会正義は、人が社会で送るうえでの正義だとされます。解説にも人により受け取りようは違うと書いてあります。ただ、弁護士にとっては、憲法の理念が前提だということです。「正義」というと、社会共同体における共通の価値観、ルールであり、定義の仕方によっては、しばしば基本的人権と衝突する概念でもあります。
目の前の依頼者の利益を考えるのは元よりですが、しかし、社会全体にとって何が良いのか、どうあるべきかを頭のどこかで考えながら、目の前の事案1つずつに当たりなさい、そういうことなのだろうと思います。

規程として重要なのは、「自覚し、その使命の達成に努める」という部分でしょう。
まず使命を自覚しなければならない。自覚とは、自分の置かれている状態や地位などをしっかりと理解することです。弁護士とは何か。どういう仕事で、何が期待されているのか。常に考え続けなさいということです。
そして、「使命の達成に努め」なければならないわけですから、上記の自覚のもとに、基本的人権擁護と社会正義を念頭に、日々、毎時、努力しなければいけない。
典型的には日々の具体的な依頼業務、裁判だったり、裁判外の交渉だったりします。それだけでなく、個々の弁護士としての知識経験に基づいて、立法や法律制度の改善につながる活動を展開することが要求されると、解説には書かれています。

単に自分の事務所を経営し、自分の収入に汲々としてはいけない、青臭くいえば、世の為人の為を思い、受任事案以外の活動、例えば弁護士会の委員会活動に参加する、各所で講演をしたり、色々な場で意見を表明する、法科大学院その他で後進を指導するといった、公的な活動に関わる、ということが要請されていると受け取られます。
全人格的に、弁護士とはどうあるべきか、弁護士としての自分はどうあるべきかを悩みながら、努力を重ねなさい、そう言われていると思います。

弁護士急増、不況もあって事件数や収入が減り、事務所に就職すらできないという中で、このような青臭い使命感に触れている場合ではないようにも思われます。日々のパンを手に入れられるようにするので精一杯だというのは、決して大げさではない時代だと思います。
しかし、そうであるからこそ、そういう時代であるからこそ、どういう立場であれ、弁護士っていったい何なのか、どうあるべきかを、初心に立ち返って考えるべきではないでしょうか。

答えはひとつではないだろうし、本当に悩ましいことです。ときに責任から逃げたくなることもあるでしょう。
責任、使命の重さが、仕事の価値であり、やりがいだと信じます。
人に偉そうに言っていられる立場ではありませんから、私も毎日考えていきたいとあらためて思いました。
このブログで、こういったテーマをご紹介することも、広い意味では弁護士としての意見表明や知識提供であり、公共的使命の達成に少しは関係があるかもしれませんね。
細々とでも、着実に続けていきたいとおもいます。


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