FC2 Blog Ranking 前川弁護士blog 2013年03月
FC2ブログ
前川弁護士blog
弁護士の日常を書いております
フリーエリア

Facebookのアカウントです。ファンページもあります。

プロフィール

 前川 直輝

Author: 前川 直輝
最終学歴 京都大学法学部
司法修習 54期
カリフォルニア州弁護士
Maekawa国際法律事務所・代表弁護士
https://maelaw.jp/

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シンプルな文章作成のための25条
随分ご無沙汰しております。先に投稿しておりますとおり、2月末にカリフォルニアに渡って、司法試験を受験してきました。無事に帰国し、1週間不在の喧騒を収めて一段落の週末を迎えています。
受験体験記は準備していますが、その前に、最近個人的に関心事の文章について考えてみます。
特に、当事務所では勤務弁護士が2ヶ月余り働いていて、作成した文書をこちらでチェックする機会も増えています。
思い返せば、自分も当初原型を留めないほどに真っ赤になって返ってきたことを思い出します。新人弁護士さんは誰しも程度は別として同じ体験をされているころでしょうし、勤務して2ヶ月、3ヶ月経つ頃はちょうど疲労も蓄積しているタイミングだと思います。

ガーディアンの編集者であった人が、「シンプルに叙述するためのマニフェスト」という記事を書いていたのを目にしましたのでご紹介します。ちょっと日々の業務を、俯瞰して眺めて見ませんか。

A manifesto for the simple scribe – my 25 commandments for journalists

原文筆者はガーディアン紙のエディターを色々と経験し、15年以上前にメディアの編集者向けの研修に向けて自分で整理したのが今回紹介されている25条だそうです。
文章を作成するために一番大事なことは何か?と自問自答をしてみるが、その答えは明らかに、

「他人に読んでもらうため」
"To make somebody read it."


なのだということです。このことは本ブログでも、履歴書の作成の仕方や、文章の書き方について言及した投稿で触れていることですね。
当たり前なのですが、書いている本人が一番忘れてしまう危険のあることでもありますので、強調し過ぎるということはないと思います。

さて、25条。政党のマニフェストを読むよりはわかりやすく楽ですが、少し長くなります。拙訳をつけておきますが逐語訳ではなく日本人向けに分かり良い表現にしています。それぞれをどう理解されるかは各自に委ねますし、原文はウィットに富んでいますから、是非あたってみてください。

弁護士は、あらゆる場面で言葉を使う職業です。明確な目的があり、言葉を向ける対象があり、紙幅や時間といった制約があり、表現者が弁護士であることから生じる倫理的・法律的制約があります。25条はとても示唆的です。もし、これを読む学生、修習生、弁護士が、例えば2番、3番、5番、6番当たりを読んで、「いやいや違うよ、俺/私は弁護士なんだぜ」とか「裁判官は目を通さなきゃいけないでしょ」と寸分でも思ったとすれば、心得違いも甚だしいと自覚しなければならないでしょう。

そして日本のマスコミ関係者には、編集者、記者でなくとも、24番と25番は、絶対に心に刻んでおいて欲しいと切に願います。


【ジャーナリストのための私の25箇条】

1. 着席して文章を書き始めようとしたとき、あなたの人生にはただ一人だけ重要な人がいる。それは、読者という、まだ見ぬ人間だ。

2. インタビューしたばかりの科学者を感嘆させるために書くわけでも、貴方に学位をくれた教授に向けて書くわけでも、貴方に駄目だしする編集者に対してでも、パーティーで会って自分がライターだと話した相手に向けて書くわけでもない。まして、母親に向けて書くわけではない。地下鉄の駅から駅へ向かう車中でつり革にぶら下がっていて、何かきっかけがあったすぐに読むのを止めてしまうような人に向けて書くことになるのだ。

3. だから、一番最初に書く文章というのが人生で最も重要なもので、それは二番目も、三番目も同じことなのだ。 なぜなら、あなたは従業員やそれ以外の立場で「書かなければならない」と思っているだろうが、誰も「読まなければならない」などとは思ってくれないからだ。

4. ジャーナリズムはとても大切だ。しかし、そのものが価値的に重要だなんてことではない。尊大な態度ほど、読者をクロスワードなどに誘うものはない。だから、シンプルな単語、明確な思考と、短い文章こそが、文章を編む上で重要な要素なのだ。

5. キーボードに向かうに当たって心に刻んでおく必要があることが一つだけある。それは「物事をわかりやす過ぎるようにしたということで文句を言う人はいない」ということだ。

6. また、書こうとするたびに思い出さなければならないことがある。それは、「こんなゴミみたいなものを読んでくれる人なんていない」という意識だ。

7. もし疑問を抱いたら、読者が何も知らない前提をとろう。しかし、読者が馬鹿だと思ってはいけない。ジャーナリズムにおける古典的な過ちは、読者の知識を過大に捉えることと、読者の知性を見くびることだ。

8. 人生は複雑だが、ジャーナリズムは複雑であってはいけない。それは、医学、政治といったテーマが複雑だからこそ、読者がガーディアンやBBCを頼り、それらをシンプルに解きほぐしてくれないかと期待するからだ。

9. だから、書こうとするテーマが絡みついたスパゲッティのようになったとしたら、あなたのストーリーを、全体から慎重に引き出した、一本のスパゲッティのようにしてしまうことだ。贅沢をいえば、オイル、ガーリック、トマトソースが付いているとよい。読者は、複雑な全体よりも、シンプルな部分を提供されたことで感謝してくれる。それは、読者が人生が複雑であることを知っていて、一筋でシンプルに説明してくれることに感謝を覚えるからであり、「これから書くことは不可思議なほどに複雑怪奇なのだが」などと言い放つ文章を読む人がいないからだ。

10. そこで一つのルール。話は、ただ一つの大テーマを扱うべし。例えば、4つの筋を扱わなければならないとしたら、それらの4つの絡み合う筋を、言いたい一つの大きなテーマにまとめることだ。

11. ここで観察しておくべきことがある。その大きなテーマが何であるのかを決めて、しかもそれを一つの文章で言えるのでなければ、書き始めてはいけないということ。そして、あなたが、母親がアイロンに手を伸ばす前の僅かな時間で、この一文に耳を傾けてくれるかどうかと自問自答してみることだ。編集者に文章を売り込むのなら、それと同じような注意を惹かなければいけない。だから、この一文に精力を注がねばならない。この文章が、いつもとはいわないが頻繁に、記事の最初の文章になる。

12. どんな記事にも、理想的な出だしの文章、導入、というものが存在する。書き始める前にこれを考えることはとても役に立つ。なぜなら、これに続く文章は自ずと湧き出てきて、素早く書けるからだ。ペラペラと書けるからといってあなたが軽薄だとか才能があるとかいうことではない。単純に、まさに正しい書き出しをひらめいたということを意味するだけだ。

13. 軽薄で安直、薄っぺらいという言葉は、ジャーナリストに対する侮辱にはならない。新聞を購読するすべての目的は、情報が簡単に素早く入手できるからであって、脚注もなければ複雑な参照、孫引きなどがないからだ。

14. センセーショナルとか取るに足らない、といった言葉も、ジャーナリストに対する侮辱にはならない。それが古典の戯曲であれ、ロシア文学、フランスマンガ、アメリカのスリラーであれ、ただ読んだときに受け取ったままをシンプルに読み取れればいいのだ。それらの中には、興奮、ユーモア、ロマンスや皮肉といった感覚に訴えるものがあるからだ。良いジャーナリズムというものは、ユーモア、興奮、辛辣でピリッとする感覚を与えるものだ。取るに足らないとか平凡だという表現は、学者に対してはまっとうな侮辱だというべきだろう。しかし、これらの学者ですら、最初の段階では、自分たちが何かキラリと光るが、そう、当たり前に見えるものに魅了されたからこそ、その専門分野に関心を持つことになるのだ。

15. 言葉には様々な意味がある。それらの意味を大切にする必要がある。革新的になって、一度辞書で調べてみて、どこにあるかを確認するといい。その上で正しく使うこと。決して、自分の無知から目をそらして、権威を振りかざしてはいけない。

16. 定型表現というのは、新聞記者の古典的な指導においては、疫病みたいに避けろと言われてきたものだ。ただ、それがまさに正しい定型的な表現だという場合は例外である。正しく使われる限り、定型表現というものがどれほど有益なものか、驚くだろう。ジャーナリズムというものは、賢くある必要はないが、迅速であらねばならないからだ。

17. 比喩は偉大だ。しかし、おかしな比喩を使ったり、ごちゃまぜにしてはいけない。

18. 街中での会話におけるような、人どうしの信頼がないことには注意をする必要がある。パブやカフェで使われる言葉というのは、独特のリズムがあり、ボディーランゲージも含まれている。ところが、紙面の言葉には、アクセントも、それ以外に皮肉や笑いのシグナルを発してくれるような媒体は存在しない。だから、直截で、明瞭で、鮮明でなければならない。そのためには、適切な文法に従わねばならない。

19. 長くて非常識な単語には注意が必要だ。専門用語もしかり。もし科学分野の物書きだとしたら、普通の人が使ったこともないような専門的な言葉に出くわすことになるから、この注意はさらに大事なことになる。

20. 英語はラテン語よりも(わかりやすさにおいて)優れている。難しい単語を使うよりもシンプルな単語を使うことだ。「殲滅する」というのではなく、「殺す」というように。

21. 人々は常に自分の身近なものに反応してくれるということを忘れてはいけない。関心の高い南ロンドンの人たちは、週末のミルウォールFC(サッカーチームでしょうね)の運命より、スリナムにおける経済改革に関心があるかもしれないが、大半の人はそうではない。だからそれを受け入れなければならないのだ。

22. とにかく読書がモノを言う。いろんな文章をたくさん読むことだ。古典、小説、詩、漫画、推理小説など。言葉を使ってあっと驚くようなことができるか考えよう。たった1頁の半分で、世界を魔法にかけることができるのだから。

23. 所与の前提とされているような確定情報ほど疑ってかかるべきだ。あなたがべた褒めした対象よりも、より大きく、速く、古く、豊かなものというものは常にありうるということを覚えておくべきだ。だから、「最も・・・のうちの一つである」と断って書くことや、もしそこまでしないにしても、「ギネスレコードによれば」と書くべきだろう。

24. 良い感じの文章であるけれど、法がそれを文字にすることを許さないというものがあるだろう。どれが好みの問題か、どれが一単語当たり何百万もの代償を払うことになるのかを、根気良く考えなければならない。

25. 物書きには責任があるが、それは法律上のことだけではない。真実を希求しなければならない。真実をつかむのが難しく、実際しばしばそうであるから、その場合は少なくとも公平で、物語には常に別のサイドがあるという自覚を持たなければならない。 客観性を保持するためのあらゆる指摘に耳を貸さなければならない。それが何よりも壊れやすいものなのだ。
スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。