FC2 Blog Ranking 前川弁護士blog 2014年03月
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 前川 直輝

Author: 前川 直輝
最終学歴 京都大学法学部
司法修習 54期
カリフォルニア州弁護士
Maekawa国際法律事務所・代表弁護士
https://maelaw.jp/

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いつの時代でも大事なこと〜ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)を観て
カリフォルニア州の司法試験を受験し、帰りの飛行機の中で、いくつか映画を見ました。
表題にあるハンナ・アーレントは、今のこの日本にいる人たちにこそ、ぜひ見ていただきたいと思い、紹介します。

ユダヤ人であるハンナは、第二次世界大戦中、幸運なことに迫害を逃れ、夫とともにアメリカに渡ります。
ハンナは哲学者であり、ナチスとの関係を指摘されるハイデガーの教えを受けた人ですが、その辺りの描写は映画を見てください。
折しもナチスSSであったアイヒマンがモサドに捕まり、イスラエルで裁判にかけられます。自ら志願してその傍聴をし、裁判記録一切を読んだハンナは、アメリカの雑誌に記事を投稿します。その記事の内容(それはごく一部分の表現なのですが)が大変な論争を起こし、ユダヤ人から脅迫を交えた批判を受け、旧来の友人たちとの関係も破綻していきます。この部分もネタバレになりそうなので割愛しましょう。

私が感動をしたのは、最後にハンナが哲学の教授をしている大学の学生達にむけて行ったスピーチの内容です。ドイツ人の英語ということなので、ちょっと聞き取れなかった部分があるのですが、メモをしてみました。また、字幕は秀逸なのですが、あえて平たく翻訳を付してみましょう。
彼女が一貫して語るのは「考える」という作業の重要性です。

Since Socrates or Plato, we usually call thinking as being engaged in the single dialog between me and myself.
In refusing to be a person, Eichmann utterly surrendered the single most defining human quality, that is "be able to think".
Consequently, he was no longer capable of making moral judgment.

ソクラテスやプラトンの時代から、我々は「考える」という作業を、自分の内心における対話をすることだと理解していました。
人間であることを否定したアイヒマンは、唯一の、最も素晴らしい人間としての質を放棄しました。それは、「考えることができる」ということです。
その結果、彼はもはや善悪を判断することができなくなりました。

This inability to think ?tiered? to possibility to many ordinary men to commit evil these gigantic scale so like which we have never seen before.
I have considered these questions in a philosophical way.
The manifestation of "wind of thought" is not knowledge but ability to tell right from wrong, beautiful from ugly.
And I hope that thinking gives people the strength to prevent the catastrophe in these rare moments in the ★chips are done.

考えることができないということで、多くの普通の人間たちが、今までに想定しない規模での悪を行ったのです。
私はこの問題を哲学的に考えてみました。
「思考の風」という説明は、単なる知識ではなく、善悪、美醜を判断できる能力を指します。そして、私は、この考えるということが、この悪が行われている時代に、大惨事を避ける強さを与えてくれることを期待します。


映画のストーリーの流れの中で、様々な葛藤が的確に描写され、それがハンナ役の女優さんにより、実に巧みに表現されていました。その中でこのスピーチを、彼女の独特のアクセントで聞くことにより、素晴らしい感動を生みます。私も機内で図らずも涙しました。
最後の部分で、物語の前半で出てきた印象的な言葉が使われているあたりは、この難しいスピーチを構成した人の勝利であり、思わずクスっとしてしまいます。そういうのは英語を聞いて体感してもらいたいところです。

物語は、アイヒマン裁判、ナチスとユダヤ人をめぐる、とても論争を呼ぶテーマを扱っています。しかし、私が感じたのは、どうして凡庸な人間が悪の手先となるのか、それらが何を原因として起こったのかについて、ただ単に特定人を攻めたり、特定のグループを攻めることでは判明しないということだと思います。
悪とは何か。それは個別の凶悪な犯罪者が起こすことではない。根源的な悪はなにか。
それは、普通の当たり前の人間一人ひとりが、自らの頭で考えることをやめることだ、他人の受け売りや、「敵」を作り上げて行う心地良い非難・中傷は、根源的な問題を一向に解決しないのだということです。

国、地域、民族と、いろんなグループ分けは可能です。特定のグループに対して、ただひたすら熾烈な批判を繰り返すという態度が各所で増えています。
批判する側も、批判される側も、ただ立腹し、感情に任せる前に、歯を食いしばって、それぞれが口にしていることの意味、その背景などを客観的に分析することです。その分析に基づいた結果も、絶対的に正しいということなんてありえないという自身の限界を理解することです。そして、何より、一人ひとりが、「誰それが言っているから」といった理由や、自分が属するグループが優越することを希望するというつまらない欲求からではなく、本当の意味での正義、平和といったことに思いを致して、自分自身の頭で必死に考え続けること。心地よい世界、社会を形作る近道は、軍事でも、狡猾なトリックでもなく、ただ、考え続けること、それ以上でもそれ以下でもないという思いを、この映画を観て強くしました。
ハッピーゴーラッキーなストーリーではないですし、観終わった後も重苦しいものは残りますが、この不安定な時代に身をおくすべての人たちに、観てもらい、「考えて」もらいたいと思います。
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