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 前川 直輝

Author: 前川 直輝
最終学歴 京都大学法学部
司法修習 54期
カリフォルニア州弁護士
Maekawa国際法律事務所・代表弁護士
https://maelaw.jp/

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姿勢とメンタル
30の手習いではないですが、なんの音楽的素養もない、どちらかというとスポーツ人間だった私が、大人になって、この仕事をし始めてから、フルートを習っています。もうかれこれ10年近くでしょうか。基本的に、野球を除くと、何かにハマるということがない人間としては、それは奇跡的なことですらあります。

続いている理由は、2つ。
1つは、妻が子どものころからやっていて、二人で共通の趣味で楽しめている、幼稚園・小学校や老人施設、各種懇親会などで演奏する機会があるというのが大きいです。どうしても就労時間が長くなりがちですから、一緒に家族と時間を共有するきっかけはあったほうが幸せだと感じます。演奏仲間や訪問する先々で出会う子どもたち、お年寄り、ご病気や障がいを抱えた人々や、そういった人の家族、取り巻く職員の方と、仕事を離れて分かち合う時間は、何にも代えがたいものがあります。

もう1つは、習っている先生が良いということです。仕事がどうのこうのと言い訳をして練習をしないものですから、一向に上手くならない不出来な生徒ですが、それでも練習不足を怒るでもなく、粘り強く教えてくださいます。素人のくせに大げさかもしれませんが、音の作り出し方は、今の先生に習う前後で全く違いますし、フルートを吹くのがとても楽しくなっています。

面白いのは、フルートを上手に吹くために必要な要素は、仕事でもたいてい当てはまるということです。
日々の鍛錬が必要だということはもちろんですが、それ以上に、必ず勘所はあって、動かない原理原則があるということです。
今日などは、突然楽譜を置いた譜面台を取り払われ、自分の吹いている姿勢を鏡で見ながら、堂々と人に向けて吹くように、と言われました。暗譜もできないし、と不安になってつまずきながら音を出します。上手く吹けないから最初は落ち込むのですが、胸を開いて、フルートを真横に構えて、足で地面を蹴って重心を落とし、少し上の方を見るようにすると、格好だけでなく演奏自体も知らず知らず自信満々になるのですね。知らず知らず、自分はスティービーワンダーみたく体を揺らしながら演奏していたのですが、結局それでは音が不安定だし、しっかりと息をお腹で支えて安定した綺麗な音を出せていなかったということに気がつきます。心の不安や準備不足、焦りといった感情は、図らずも私の姿勢、身体の挙動に正直に表れていたということなのですね。
それはそれは、なかなか面白い体験です。

よく考えると、弁護士をしていて、割合に姿勢や身体の使い方には気を使っているように思います。
最近は特に、裁判官、検察官や弁護士さん、その他の人たちの顔を見て、ゆっくり話すようにしています。おかしなことなのですが、弁護士をやっていると、専門家どうしなのに会話が噛み合っていないという場にしばしば遭遇します。そういうときは決まって、お互いに顔を見ておらず、ずっと手元の書類やパソコンに視線を落としているんですね。そして、そういう姿勢では声が前に行かないし、周りに届かないから、説得や交渉にならず、自分の意思が伝えられません。どうしても言葉に注意を払う仕事だからかもしれませんが、他方で、人間がコミュニケーションで獲得する情報の大半は、視覚によるそうですから、目線や表情、肌ツヤですとか、身体の挙動、着ている服や持ち物といったところを見ないのは、圧倒的に不利だと思います。

さらに先生とお話していて気付かされたのは、顔を上げて他人の目を見るのには、勇気がいるということです。目の動き一つとっても、相手にそれを晒すことは、自分の感情を読み取られる不安と裏腹です。仕事でポーカーフェイスを気取り、下を向いているというのは、防御姿勢としてはあり得ることなのかもしれません。ただ、それはまさしく守ることができるというだけで、周りとの関係でいえば、何も変化を起こしていないということに他なりません。時事刻々と物事が動いていく中で、その静的な態度は、現状維持ではなく、むしろビハインドであると知る必要があるのではないでしょうか。勇気を持って上を向き、自分を晒す、出せるよう、準備を整えておく、技術を磨いておくことが大切だと感じます。それは楽器を演奏して何百人何千人を感動させることに比べれば、造作もないことのはずです。

楽器を演奏するというのは、周りの人に音を届け、何か感情や意図を伝えるという作業です。それは本質的にコミュニケーションで、手法が違えど、仕事で人と触れ合うときに要求される技術の基礎は同じです。自分に自信を持って良い姿勢、身なりで準備し、周りに関心をもち、反応が返ってきたらそれを正しく感じ、理解する。
特に、音楽の場合は、しのごの言わず、生の音で表現されますから、自分にも周りにも結果は明らかなのですね。その意味では、仕事の方がまだごまかしがきいているのではないか、とすら思います。

他者に正対して、誠実に意を尽くす人は、多少技術が劣っていても、必ず他人に何らかの変化を与え、結果として状況を変えることができます。自分が練習不足である言い訳をしてはいけませんが、先生からレッスンで求められる要素は、どんな状況であれ、一つずつ学びながら、大げさに言えば人生の各所で生かしていきたいものだと思います。

やはり何でも良いですから、仕事以外の趣味、世界を持っておくことは大切だと、年を重ねるごとに思いますね。
しんめい法律事務所・弁護士採用情報
1名募集することに致しました。日弁連サイトへの登録まで時間がかかるようなので、リリースしておこうと思います。掲載情報の抜粋です。
良いご縁があれば幸いです。

[基本情報]
事務所名 しんめい法律事務所
所属弁護士会 大阪
住所 郵便番号 530-0047 大阪府大阪市北区西天満四丁目11番22号 住所2(ビル・マンション名) 阪神神明ビルディング501号
事務所HPアドレス http://www.shinmei-law.com/index.html
登録番号 28620
採用担当者 前川直輝
電話番号 06-6362-8013 FAX番号 06-6362-8133
メールアドレス info@shinmei-law.com
事務所の構成 弁護士数(日本資格のみ) 3名 男性:2名 女性:1名  
パートナー経営者の構成 修習期:54期〜期 男性:2名  
アソシエイト・勤務弁護士の構成 修習期:65期〜期 女性:1名  
事務職員数 2名

執務条件 執務日 月〜一部土
勤務時間 その他 事務所は9時15分〜17時30分までが執務時間、これを基礎として自主性に委ねる。
休暇 夏期休暇:応相談 冬期休暇:応相談
出産休暇:法定どおり 育児休暇:法定どおり

個人事件の受任 受任 可
受任時の設備使用 可
受任時の経費分担 分担あり
弁護団事件 可
事務所アピール・特色・将来像・求める人材等(自由記載 400字以内)
パートナーはいずれも40歳、開設9年の事務所です。強い倫理観と責任感を持って誠実に仕事に取り組み、他の弁護士やスタッフと協調できる方。必須ではないですが、英語等外国語ができればなお良いです。

[修習生向け求人]
採用予定人数 1名
待遇 給与 給与制
弁護士会費の事務所負担 なし
その他条件(自由記載) 交通費事務所負担。5年以内を目処に、パートナーシップ契約を申し込むことがある。
重点選考項目 なし

応募方法
問い合わせ方法 必要書類の郵送 (事務所住所と同じ ) 必要書類等 履歴書(書式自由) 成績表(大学・大学院) 成績表(司法試験) その他 連絡先メールアドレスを記載。封筒には履歴書在中と明記。

選考方法 4月上旬を目処に書類選考、事務所から面接対象者の日時等を電子メールで案内、調整の上4月中に面接を実施。別途筆記試験等を実施する可能性があります。面接した方には随時電子メールで採否の連絡をします。提出いただいた書類は返却しませんのでご注意ください。

[弁護士向け求人]
掲載終了日 2015年 6月 18日
採用予定人数 1名
採用予定者の弁護士経験年数 1年以上3年未満 1名
応募資格 得意分野 不問
語学能力 英語の読み書き・会話ができることが望ましい。
待遇 給与 給与制
弁護士会費の事務所負担 なし
その他条件
(自由記載) 交通費事務所負担。3年以内を目処に、パートナーシップ契約を申し込むことがある。
応募方法
問い合わせ方法 必要書類の郵送 連絡先メールアドレスを記載。封筒には履歴書在中と明記。
必要書類等 履歴書(書式自由) 成績表(大学・大学院) 成績表(司法試験)

選考方法 修習生を含め、4月上旬を目処に書類選考、事務所から面接対象者の日時等を電子メールで案内、調整の上4月中に面接を実施。別途筆記試験等を実施する可能性があります。面接した方には随時電子メールで採否の連絡をします。提出いただいた書類は返却しませんのでご注意ください。
謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。
勝手ながら公私とも年賀状の準備は省かせていただいておりますので、今年も本ブログにて新年を迎えての思いをお伝えしようと思います。

旧年中は、家族、友人、依頼者、案件の関係者、職業問わず様々な方々と出会い、助けられ、教えを受けられたことに感謝いたします。

何か世界や社会が閉塞感を感じ、人間どうしの素朴な感情や、謙虚な物の見方が忘れられ、息苦しく感じつつあるというのが、偽らざる時代感ではあります。ただ、そういう社会の動きの中でも、自分自身、弁護士になったとき、開業したときの初心を忘れることなく、決して不遜にならず、必死に頭を使い、想像力を働かせて、様々な案件でクライアントにとってベストサービスを提供できるよう、専心したいと思います。

本年は、個人的には不惑を迎える年です。カリフォルニア州司法試験についても、2月末に受験をし、崖っぷちにしがみ付いてでも合格したいと思います。特に試験前に一時不在にする関係でご不便をおかけするやもしれませんが、勤務弁護士も十分スキルを積んできておりますし、スタッフとも連携して事案処理に遺漏のないよう最善を尽くします。

弁護士という仕事は、経験を重ねれば重ねるほど味わい深く、人間に対する関心や愛着を強くさせてくれるもので、自分自身にとって良い職業選択だったのではないかと感じるようになりました。それが単なる自己肯定バイアスの結果にならないよう、毎日、毎分毎秒の体験を咀嚼しながら、成長の歩みを止めず、加速できるよう研鑽に努めたいと思います。

あとは、自分に厳しく正直で、他人に優しく寛容な態度で、家族を含め心身の健康を維持していきます。
弁護士登録後14年目、しんめい法律事務所開業後9年目を迎えるこの1年、自分の思い描く目標・目的を達成できるよう精進します。
本ブログの更新も3月以降は徐々に充実させていくつもりでおりますので、おつきあいいただければ幸いです。

本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
スピーチの使い回し〜安倍首相の原爆記念式典での演説に触れて
帰国後の喧騒はようやく収まり、お盆休みの週に入りました。
私は7月下旬に贅沢にオフィスを留守にしましたし、特に予定もありませんから、普通に働いていると思いますけれど、お客様のほうがお休みでしょうから、実際は電話番くらいでしょうか。

さて、今年の原爆記念式典での安倍首相のスピーチが、昨年分とかなりの部分で重複するということで問題になっているようです。
私は演説自体を聞いていませんが、3段落にわたって一字一句同じだったという指摘もあり、書き起こしを見てみても多数箇所がそのまま使われていることを確認すると、客観的に見て相当な範囲を流用していることは事実でしょう。

演説の使い回しというと、自分の大学時代を思い起こします。
折にふれてお話していますが、私はESS(英語研究会)に所属していて、最終年次である3回生のときは部長をやらせてもらいました。
ESSは、英語で演説や議論、ディベートをするクラブなのですが、自分の大学の仲間どうしで練習するだけでなく、他の大学に出向いたり、逆にお招きしたりして、ひとつのテーマをもとにディスカッションをしたり、ディベートをしたりする活動が年中ありました。現在も京都大学ESSの後輩たちは、形は少しずつ変わっているようですが、切磋琢磨して頑張ってくれているようです。

他の大学との活動では、スーツをきてネクタイを締めて、わりとフォーマルな形式で催すので、始まりのときや最後の終了時などに、各大学の責任者、部長さんがそれぞれ演説をする習わしになっていました。もちろん英語です。
私は部長のときに、招かれたり、お招きしたり、OB・OGさんたちを前にする機会に、英語で何度もスピーチをしました。繁忙期は毎週のようにそういうスピーチをしていて、私は紙やメモを見ないでするというポリシーでやっていましたから、法学部の授業そっちのけで、スピーチの対応に追われました。

部長のスピーチは、参加者を歓待し、会の意義を強調して動機付けをしたり、大学どうしの交流を深めたりすることが目的でされるものです。決して長いものではありませんが、ものによっては3〜5分、私は関西人で笑いも取りたいと思うし、参加者のレベルも春の時期と秋の時期では格段に違いますし、英語を聞いて分かるレベルも大会によって異なりますから、毎回創意工夫を重ねる必要があります。
大学を代表して行うものでしたからそれなりの格調と、ユーモアと、流暢さが必要だというプレッシャーも大きかったです。しかし、その時の自分には、他のときにやったスピーチを使いまわそうという意識はまるでなかったですね。

自分のことで恐縮ですけれども、楽をしたってバレなかったかもしれないのに何故使い回ししなかったかというと、自分が演壇に上って、数十人から数百人の聴衆の時間を拘束してまでしゃべるのですから、それぞれの場に即した、聴衆の人たちの気持ちに響く、関心を引くような、生の言葉を紡ぎたい、そうやって人の心に触れたいという思いが強かったからではないかと思います。使い回しでは、言葉に力が入らないし、耳に入ってこない。それは他の大学の責任者が使いまわしに近いことをしていたときにもそう思いましたし、自分で用意したのでないスピーチを、原稿を見ながら読んでいた人のものを聴いてもそう思いました。

安倍首相の周辺は、今後は配慮が必要だが、思いは同じだから問題ないと、そう言って決して非を認めていないようです。全体として、たかがスピーチの一つ、揚げ足を取って、というような雰囲気があると思いますし、実際にそう思われる国民も少なくはないでしょう。
ただ、私が思うに、準備がとても大変なのは大学生の比ではないにせよ、諸外国からも来賓をまねき、唯一の被爆国として、原発事故の問題がオリンピックも見据えて極めてクローズアップされる中で、国家のリーダーが昨年と3分の1から半分近く同じ言葉・ニュアンスのスピーチをすることが、被爆者を含む国民、諸外国からどのように「受け取られるか」が重要です。
こと演説に関する限り「自分たちがどう思うか」が問題ではないのです。もし、原爆による犠牲者を追悼し、二度と惨劇を繰り返さず、平和を希求する気持ちに変わりがなく、強くそれらを願っているというのなら、言葉が何であれ、聴いていいた相当数の人の心に響いたはずです。それを棚に上げながら、自分の側の主観でのみ評価をしようというのは、我田引水、組織のリーダーとして失格だと思います。言葉を使いまわすということは、言葉を選ぶという演説で最も重要な作業で手抜きしたということであり、それを聴く人たちに対する態度がその程度のものであるということを意味している、そう言われても仕方がないことだと思います。

私の経験と総理大臣を比べるのはナンセンスでしょうね。責任も、与えられた時間も、言葉の持つ意味も、格段に違うから、偉そうに言うなっていう批判があることは百も承知です。
ただ、私も数十人は所属してくれている部員を代表して演説を行う以上、英語はもちろんのこと、メッセージの内容や、ジェスチャーを含めた見られ方も全部総合して、仲間が誇らしく思い、参加者が一つでも覚えてくれるようなスピーチにしようと、若く未熟な学生なりに努力を重ねたつもりです。そうしている中で、お世辞もあるとはいえ、部員の仲間が「あのスピーチをした部長さんと同じ大学の人ね」とうらやましがられたといって嬉しそうに報告してくれたり、同じ議論の席についた他の大学の人たちから素晴らしい言葉だったということを言ってもらえると、本当に準備してよかったな、言葉を選ぶ努力をすれば伝わることもあるんだなと感じることができました。そのことは、弁護士をしている現在まで、一貫して言葉に対する姿勢として血肉となっています。

彼の政策、内閣の向かう方向については、議論はいろいろあるでしょう。何も叩くばかりが適切ではありません。ただし、リーダーの言葉が、周りの人たちを慮った、気を配った温かいものだったとしたら、国民のみならず、近隣諸国との関係が好転するということは言えないでしょうか。原発事故について問題があるのに、問題がない、コントロールできていると断言したり、行く先々でご都合主義の言葉を使う国が、果たして信頼してもらえるのかどうか。
たかが言葉の問題、と議員が思っているとすれば、その人たちは国民の代表を務める資格はないと、私は思います。
いつの時代でも大事なこと〜ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)を観て
カリフォルニア州の司法試験を受験し、帰りの飛行機の中で、いくつか映画を見ました。
表題にあるハンナ・アーレントは、今のこの日本にいる人たちにこそ、ぜひ見ていただきたいと思い、紹介します。

ユダヤ人であるハンナは、第二次世界大戦中、幸運なことに迫害を逃れ、夫とともにアメリカに渡ります。
ハンナは哲学者であり、ナチスとの関係を指摘されるハイデガーの教えを受けた人ですが、その辺りの描写は映画を見てください。
折しもナチスSSであったアイヒマンがモサドに捕まり、イスラエルで裁判にかけられます。自ら志願してその傍聴をし、裁判記録一切を読んだハンナは、アメリカの雑誌に記事を投稿します。その記事の内容(それはごく一部分の表現なのですが)が大変な論争を起こし、ユダヤ人から脅迫を交えた批判を受け、旧来の友人たちとの関係も破綻していきます。この部分もネタバレになりそうなので割愛しましょう。

私が感動をしたのは、最後にハンナが哲学の教授をしている大学の学生達にむけて行ったスピーチの内容です。ドイツ人の英語ということなので、ちょっと聞き取れなかった部分があるのですが、メモをしてみました。また、字幕は秀逸なのですが、あえて平たく翻訳を付してみましょう。
彼女が一貫して語るのは「考える」という作業の重要性です。

Since Socrates or Plato, we usually call thinking as being engaged in the single dialog between me and myself.
In refusing to be a person, Eichmann utterly surrendered the single most defining human quality, that is "be able to think".
Consequently, he was no longer capable of making moral judgment.

ソクラテスやプラトンの時代から、我々は「考える」という作業を、自分の内心における対話をすることだと理解していました。
人間であることを否定したアイヒマンは、唯一の、最も素晴らしい人間としての質を放棄しました。それは、「考えることができる」ということです。
その結果、彼はもはや善悪を判断することができなくなりました。

This inability to think ?tiered? to possibility to many ordinary men to commit evil these gigantic scale so like which we have never seen before.
I have considered these questions in a philosophical way.
The manifestation of "wind of thought" is not knowledge but ability to tell right from wrong, beautiful from ugly.
And I hope that thinking gives people the strength to prevent the catastrophe in these rare moments in the ★chips are done.

考えることができないということで、多くの普通の人間たちが、今までに想定しない規模での悪を行ったのです。
私はこの問題を哲学的に考えてみました。
「思考の風」という説明は、単なる知識ではなく、善悪、美醜を判断できる能力を指します。そして、私は、この考えるということが、この悪が行われている時代に、大惨事を避ける強さを与えてくれることを期待します。


映画のストーリーの流れの中で、様々な葛藤が的確に描写され、それがハンナ役の女優さんにより、実に巧みに表現されていました。その中でこのスピーチを、彼女の独特のアクセントで聞くことにより、素晴らしい感動を生みます。私も機内で図らずも涙しました。
最後の部分で、物語の前半で出てきた印象的な言葉が使われているあたりは、この難しいスピーチを構成した人の勝利であり、思わずクスっとしてしまいます。そういうのは英語を聞いて体感してもらいたいところです。

物語は、アイヒマン裁判、ナチスとユダヤ人をめぐる、とても論争を呼ぶテーマを扱っています。しかし、私が感じたのは、どうして凡庸な人間が悪の手先となるのか、それらが何を原因として起こったのかについて、ただ単に特定人を攻めたり、特定のグループを攻めることでは判明しないということだと思います。
悪とは何か。それは個別の凶悪な犯罪者が起こすことではない。根源的な悪はなにか。
それは、普通の当たり前の人間一人ひとりが、自らの頭で考えることをやめることだ、他人の受け売りや、「敵」を作り上げて行う心地良い非難・中傷は、根源的な問題を一向に解決しないのだということです。

国、地域、民族と、いろんなグループ分けは可能です。特定のグループに対して、ただひたすら熾烈な批判を繰り返すという態度が各所で増えています。
批判する側も、批判される側も、ただ立腹し、感情に任せる前に、歯を食いしばって、それぞれが口にしていることの意味、その背景などを客観的に分析することです。その分析に基づいた結果も、絶対的に正しいということなんてありえないという自身の限界を理解することです。そして、何より、一人ひとりが、「誰それが言っているから」といった理由や、自分が属するグループが優越することを希望するというつまらない欲求からではなく、本当の意味での正義、平和といったことに思いを致して、自分自身の頭で必死に考え続けること。心地よい世界、社会を形作る近道は、軍事でも、狡猾なトリックでもなく、ただ、考え続けること、それ以上でもそれ以下でもないという思いを、この映画を観て強くしました。
ハッピーゴーラッキーなストーリーではないですし、観終わった後も重苦しいものは残りますが、この不安定な時代に身をおくすべての人たちに、観てもらい、「考えて」もらいたいと思います。